ブラジル経済の実態(後編)(ブラジル経済の基礎知識②)
さて、前回(Blog23)では、何がブラジルを狂乱インフレにおいやったか、というお題で、ブラジルの国の生い立ちから説明してきました。
今回では「狂乱インフレ時代のブラジルって、どんな生活だったの?」という切り口で現地人(1975年工業移住、当時7歳ぐらい)の視点から書いてみます。「真相はこうだ」つづき。
オイルショックまでは年率10%程度の経済成長を達成していたブラジル。直接投資の奨励、外資の誘致、輸出の奨励、輸入の抑制(100%Nacionalつまり国産化率100%の製品生産達成への努力)などがうまくいき、「ブラジルの奇跡」などともてはやされた時代もあったのですが。石油の価格高騰によりGDP成長率1%程度に落ち込み。国債の価格をインフレにスライドさせ、そのスライド率(INDICE)をすべての価格決定の基準にするINDEXACAO(価値修正(Financial3.3))でインフレを辛くも調整していたのが、80年代から90年代にはいわゆる「4桁インフレ」そして94年6月には前月比50.8%(年率換算13,083%)の文字通り狂乱インフレになってしまいました。
さて、数字や理屈はともかく、市民の生活がどうなったかというと
―購買力激減の恐怖:「毎日高くなる」生活用品を「買えるうちに買っておく」ため、給料日にスーパーが殺人的混雑。
―物価狂乱:日常的に物価が上がり、適正価格の収拾がつかなくなった。「おもちゃのレンジが本物より高かった」「ジャケット(背広)と冷蔵庫が同じ値段だった」などの情報あり。
一日買い物を遅らせると、値段は2倍、3倍になってしまうため、
給料をもらったその足でスーパーに直行する人が殺到(当時の報道写真)
スーパーも連日値札を張り替え。うっかり前の値段のままになっている製品があったりすると
奪い合いの大乱闘ののち、今度はレジでスーパー側とお客のすさまじい喧嘩になった。
当時のスーパーの宣伝から。マーガリン4万クルゼイロ。
2019年10月16日時点では6レアルで売っていました。
つまり
―給料はもらっているが、その給料が生活を賄える金額なのかだれにもわからない。価値が著しく減っていることだけがわかる。
―来月の家賃はいくらになるのか?未払いになりけり出されたら新たな家の家賃は?著しく高くなっていることだけがわかる。電気代、水道代も同様。
―不動産購入など、多額の分割払いは自殺行為(Financial1.8)になった。
―今日買えたパンは、果たして明日買えるのだろうか?
と、生活の根幹を脅かす事態になってしまいました。
つまり、貨幣が崩壊してしまい(1)価値の尺度、(2)交換(決済)手段、(3)価値貯蔵手段として機能しなくなった。そして国家財政の破綻・国家機能(警察、医療、電気、水道、交通、通信など)喪失の危機が発生。
ブラジル政府も黙っていたわけではなく。通り一遍のやり方じゃダメじゃね?とその名も「ヘテロドックスプラン」を連発します。
Plano Cruzado及びPlano Cruzado II 1986(クルザード計画)
Plano Bresser1987(ブレッセル計画)
Plano Verão1989(夏季計画)
Plano Collor 1990(コロール計画)
しかしやっていることはほとんど同じで
預金封鎖、価格凍結、給与凍結と”gatilho salarial(給与の段階的価値修正)”、インフレ計算法の修正、家賃計算の修正、増税、公共料金(燃料、電力等)価格の上昇
こうしてむりやり「凍結」で価格を固定しようとした結果
―供給の枯渇:「原価割れで値上げしなければ売るに売れない」→値上げの再発
―購買力の崩壊:Gatilho はインフレを昂進させ給与増は物価に追いついてゆけず
―国家資産の蒸発:在外準備金の減少→対外債務モラトリアム(1987)
に行きついてしまい。結論としてインフレに逆戻りしてしまうのでした。
一部権力者主導の作為的・強引な措置によりいったんは「奇跡の成長」までいっても、虚の繁栄の最後に待っているのは崩壊だった。とくにコロール大統領の国内口座凍結は国民経済力の破壊による国家自体の貧困化をまねいたと理解しています。
さて、その場しのぎのけれん技(SpitirualS.9)では解決できないことを思い知ったブラジル政府。あっとおどろく解決(SpiritualS.10)は、また記事が大きくなったので次回にします。
ではでは。。。。
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