美術ってなんだ?西洋美術と日本美術の差②

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美術ってなんだ?西洋美術と日本美術の差②

以前の記事で「頭でっかちな西洋美術と、ほにゃららな日本美術の接点を探り、美術に現れる日本のお国柄を理解し、日本の不可思議な新型コロナ対策の解明を試みようと思います」と書きました。前回は西洋美術でいっぱいいっぱいだったので、今回は日本美術いってみます。

といいつつ、すごく悩んでいます。

なぜなら、日本美術は、つかみどころがなく、魑魅魍魎、なんでもありの「表現のるつぼ」なので、書くに書けない、どうしよう。。。。西洋美術のように「まずは知性あり」そして「どう知性を表現しようか」と、デフォルメや写実、様式化や自由化の間を行ったり来たりして、かつアトリビュートやアレゴリーなどの「一定のルールの中で競い合っている」という、要は分かりやすい発展の仕方をしておらず。(言い換えれば、日本絵画は原初からすでに発展し切っていたみたいな、ははは)

*アトリビュート:持ち物。白百合を持った青と赤の服装の女性がいたらマリア様を表す、など。

*アレゴリー:寓意。抽象的な概念を具象化したもの。サイコロの絵は幸運、頭蓋骨は死、とか。


伊藤若冲、仙厓和尚、土佐光則、写楽に渡辺崋山。

現代アートもびっくりの多様性。

しょうがないので、西洋美術の記事と同じように、絵画史からスタートします。

奈良時代が日本の美術の始まりらしい。仏教伝来にともない、仏教普及の教材としての絵画が発達した。この辺は西洋の初期キリスト教美術と似てはいる。


吉祥天像

中国から中央アジアにわたる絵画にそっくりだったりします。

ところが、早くも日本らしい脱線が発生!ありがたい法隆寺五重の塔の天井に落書きした奴がいやがった!大工さんの中の一人らしい。


大工さんのらくがき

にくらしい現場監督の似顔絵なんでしょうねえ。死ね!許さん!とか。。。

国運をかけた仏教施設にここまでバチあたりないたずらをするバイタリティーに頭が下がります。まるでブラジル人のようだ。

時代は下り。

遣唐使も廃止されると、ひらがなの発明など、日本独自の文化が生まれ。

屋根をすかした斜め上からの俯瞰図、「引き目鉤鼻の技法」などを特色とする「やまと絵」が生まれました。


源氏物語絵巻

ちなみに、引き目鉤鼻の部分を拡大すると


お目めをぱっちりさせれば、現代のマンガでも通用するかもしれん

国風文化を支えた貴族から武士へ支配階級が変わり、絵の世界もみやびから武勇へ転換し始めます。


蒙古襲来絵詞(もうこしゅうらいえことば)

この絵は、竹崎季長という人が絵師にかかせたもの。竹崎さんは一生懸命モンゴル軍を撃退したのに、いつまでも恩賞が来ないのにしびれを切らし。たいへんだったんだよ!大活躍したんだよ!というプロパガンダ映画じゃなかった「えことば」を作って幕府へ直訴した。その結果「おおそれは大義であった」と幕府から馬をもらったそうです(何頭かは不明)。ちなみに、上の絵で馬に乗っている人が竹崎さんです。

鎌倉時代前後から、「縁起物」もよく見るように。「何とか寺縁起絵巻」など、寺社建設の由来や、いろいろな霊験に関する物語を絵にした。


北野天神縁起絵巻 きたのてんじんえんぎえまき

この絵の雷様は菅原道真さん転じて天神さまです。道真さんは藤原さんとうまくゆかず失脚し、さびしく死にましたが、怨念で雷神となり。藤原家の屋敷に逆上陸して殺りまくった。絵の左端で刀を抜いて立ち向かおうとしているのが道真さん失脚の首謀者藤原時平さんだそうです。あわれ人間避雷針と化した時平さんの運命やいかに?

この絵は、北野天満宮という神社が建設された経緯を記録した、当時の「報道写真」ですね。。。

室町時代から安土桃山になると、日本絵画の全盛時代が到来します。

水墨画:

◎3阿弥(能阿弥・芸阿弥・相阿弥のじいちゃんからお孫さんへの3代)。本来は中国美術の鑑定屋さんだったらしいが、自分が描く中国絵(水墨画)もうまかった。


芸阿弥さんの「観瀑図(かんばくず)」

かんばくつながりで、「99式艦上爆撃機」はいすみません


ここはもともと飛行機乗りのHPなので、脱線ご了承おねがいします。今回の内容と関係ないかもしれんが、必読です→「こうして艦爆はP38の餌食となった」http://navgunschl.sblo.jp/article/34415264.html

◎雪舟:水墨画界のスーパースターと呼ばれ本場中国で修業し、帰国後大活躍した。


秋景(秋冬山水図)

大和絵

◎土佐光信:宮廷絵所預(えどころあずかり)つまり宮廷画家。大和絵の様式を継承して、江戸時代末まで伝えた重要な一派の中興の祖。


    星光寺縁起絵巻

室町から安土桃山、江戸時代の過渡期において、漢画のスタイルと、大和絵に見られるカラフルな色遣いを融合させた要注意なおっさんが登場。

その名も

◎狩野元信

がんらいは漢画系だったらしいが、漢画の基本である「筆様(ひつよう)」に大改革を断行。

これまでの筆様は、馬遠(ばえん)、夏珪(かけい)、牧谿(もっけい)、玉澗(ぎょくかん)など、主に南宋時代の画家たちの絵の描きかたを分析し、どれかの書き方にしなさい。勝手に自分の筆致をだしちゃだめよ、だったのですが、真面目にまねしても個人差が出?あやふやになっており。

そこを元信さんが「これが日本の筆様です」と真体(しんたい)、行体(ぎょうたい)、草体(そうたい)の三種の「画体」に取り換えることにし。以後、狩野さんのお弟子さんつらなる巨大な画家集団狩野派でのスタンダードとなったため、遂に独特な「宋和折衷」の日本絵画が主流の一つとなりました。


これが日本のコンパクト・カー。関係ないか。。。

ここに至って日本絵画は恐るべき特異性を獲得することになりました。この特異性については、江戸時代の項でもう一度書きます。→と思ったらスペースがなくなってしまい。次回にまわします

というわけで江戸時代。

狩野派以前に、いろいろあり。

琳派: 見方によってではあるが、これぞ日本絵画!ということで、きらびやかな装飾性、そして聖書・歴史・人物と言った西洋絵画の必須画題の斜め上を行く「単なる模様と化した風景画」が、西洋人の感性に大恐慌を巻き起こした。

◎俵屋宗達や尾形光琳など。


尾形光琳さんの「紅白梅図」


紅白梅図にショックを受けた西洋画科クリムトさんの

「アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像 I」

浮世絵: 日本絵画、と言われてまず思い浮かぶのが浮世絵。幕府や朝廷の御用絵師だった狩野派や土佐派みたいな制約がなく、なんでもありの自由そのもの。この奔放さがまた西洋の画家にショックを与えた。

◎鈴木春信:美人画と言えばこの人。「パ◎チラ」の発明者だったらしい。


野分(のわけ)

◎喜多川歌麿:美人画と言えばこの人。鈴木春信と違うのは、「大首絵」といって上半身アップのお上品なところと、当時の映画スターみたいだった吉原の芸者さんの「実写」が多かったらしい。ううむお上品かな?


婦女人相十品 ポッピンを吹く娘

◎写楽:スターの報道写真と言えばこの人。役者絵や相撲絵など。


三代目大谷鬼次の奴江戸兵衛

◎葛飾北斎:この人が最高峰。浮世絵のくせにまじめで?セックスアピールとか人気役者とかの題材にたよらない、冨嶽三十六景など日本人の原風景を記録しました。80歳を超しても画法の追及をやめないというイチローみたいな求道者で、「神奈川沖浪裏」の絵は、実は西洋絵画の構図方法を逆輸入して活用したという噂もあり。また、この絵は世界一有名な日本の絵画だそうです。


神奈川沖浪裏

南画: 南宋画を元に日本で独自に発展した。絵画界の少林寺拳法。文人画とも呼ばれます。文人画というのは、本職の画家ではない書家、俳人等がかいた画、という意味。

◎池大雅:書家。でも絵の方が有名かも?いい意味で、かなりぽけっとした人だったらしい。

◎与謝蕪村:有名すぎていうことなし。「古庭に茶筌花さく椿かな」


大雅と蕪村の共作「釣便図(十便十宜図)」

もちろん両名とも単独で多数作品あり

ううむここまでで3000字超になってしまった。まあ日本絵画のものすごくいいかげんなダイジェストはできたので、今回はこれで満足して終わります。やっと次の記事で日本と西洋の絵画比較開始。今回ちょっと種明かししたけれど、真の違いのキーワードは「ラ◎メン」。乞うご期待。

ではでは、悪のりごめんなさい。。。

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