子供のころ、「坂の上の雲」という恐ろしい小説を読み。
文化人の描いた「文人画」 与謝蕪村「宜暁(あかつきがよろし)」1771年
ロシアにカツアゲされた日本が、軍艦や軍隊で先制攻撃して日露戦争を開始し、ロシアをやっつける、というのを書いたすごい小説です。
でも、当時はまだまだ「ジエイターイ!税金ドロボー!」の時代で、よくも軍隊が活躍して外国に攻め込むなんて小説が書けるなーなんて子供心に驚いていました。
左翼全盛の時代に小説を、となれば、主人公は「暴力装置を破壊する革命的文化人」でないと、、、と司馬遼太郎氏が考えたかどうかはわかりませんが、主人公を3名として、陸軍1名、海軍1名のほか、ちゃんと文化人も1名登場しているのでした。
子供のころは、へへんやっぱり戦前の「共産主義者排斥」が戦後は「軍国主義者排斥」になっただけで、日本ってぜんぜん変わらないな、なんてうがった見方をしていました。
ううむひねた子供だな。
長じて頭空っぽの、ぱーな大人になり。
時代は変わり、自衛隊も暴力装置ではなくなり。戦争アレルギーも治癒に向かい、「坂の上の雲」も重要な歴史文学としての地位を不動にすることができました。
ふりかえってみれば、文化人の主人公は、戦争では活躍していないけれど、日本人の思想にすごい変革を促した恐るべき人物であり、他の2名の主人公より、日本の躍進に与えた影響は、実は上なんじゃね?と思うようになりました。
その名も正岡子規
和歌(正確には俳句)の世界の住人なのでした。なお、以後、短歌、俳句などひっくるめて、この記事では和歌、と総称させていただきます。
日本の文化を代表するもののひとつに、平安時代の最高峰の一つとされる「古今和歌集」があり。
ふむふむどうゆうところが最高峰なの?
風雅な大和言葉でつづられた和歌。究極まで研ぎ澄まされた修辞(表現手法の工夫)。具体的な修辞として、掛詞(同音異義を利用して1語に2つ以上の意味を持たせる)、縁語(一首の中に意味上関連する語を用いる)などの精緻な技巧により、知的で、深遠な、常人では到達できない歌が詰まっている、ということらしい。
例えば
「吉野川 岩波たかく 行く水の はやくぞ人を 思ひそめてし」(紀貫之)
紀貫之は、この歌で、とある素敵女子に一目ぼれ!つまり「早くぞ人を思ひそめ」てしまったことについて記述しており。それが、いかにも吉野川の「行く水の早くぞ」みたいな感じです、という和歌にしたのですねー。すごいな。
百人一首にも登場。紀貫之
ここでは、「はやくぞ」が「川(かわ)」の縁語になっています。
縁語となるべき語句のリストもあり。
芦(あし):よ、ふし、ね
泡(あわ):きえ、う(浮)、ながれ
糸(いと):ほころぶ、みだる、よりかくる
岩(いは):くだける
浮き海布(うきめ):なかる、かる
浦(うら):あま、みる
などなど、果てしなく続いています。
ううーむ、なんかルネサンスや古典主義系統の絵画を思い出してしまいました。
例えばこれ。
ダヴィッド「ホラティウス兄弟の誓い」1784年
この絵では、左から右へ3人、1人、3人(子供もいるけど)の均整の取れた配置、そして柱で分割された四角い荘厳な空間に、三角に両足を踏ん張ったにいちゃんたちとじっさまの剛直、安定(揺るがぬ決意)と、その後ろではおねえさんたちがへなへなと曲線で崩れて悲しみを強調しており。剣のうち1本のみがまっすぐな刀身なのは、この絵の後に戦争に出ていった3人のうち、1人しか生き残れなかったことを暗示しているらしい。
こういう、理知的な、ち密そのものの構成がみごとな調和を生み出しているというところが、洋の東西は違っても、かつ文学、美術の差はあっても、人間の到達する一つの頂点なのかなーと思ったりしました。
西洋人ダビッドが、なんか崇高なお題なのにくらべ、日本人の紀貫之さんは「お姉ちゃん、好き好きー」と、なんとも情けないですけど。
日本人って、ふしぎですねえ。
も一つ投下。このブログの読者の皆様には、おなじみの北方ルネサンスの名作。
ヤン・ファン・エイク「アルノルフィーニ夫妻像」1434年
単なる「できちゃった婚」の絵ではなくて、教養の詰まった、知的探求の絵です。例えば、お兄ちゃんの後ろ、窓際のみかんは、お兄ちゃんが裕福な商人であることの象徴とか、シャンデリアにぶら下がったろうそくが「神に祝福された結婚」を表しているとか。犬くんやサンダルもそれぞれ深い意味があり、まさに「掛詞」「縁語」の世界になっています。なんていったらこじつけすぎかな?
なお、シャンデリアについては「表には出せない黒い意味」があったりするのですが、古今和歌集では「ひねり」「くすぐり」はあっても、もっとあっけらかん(陰ひなたのない和歌)らしい。
さて、明治時代。
知識・教養を結集した西洋芸術にも劣らない古今和歌集の作品群を、正岡子規がどう発展させたかというと
「こうした和歌を全否定し、まったく新しい俳句を生み出した」ははは
子規曰く
「貫之は下手な歌よみにて古今集はくだらぬ集に有之候」
◎和歌は規則や理屈で形式ばって作るものではない。
◎和歌は知識のひけらかしでもなければ、謎解きゲームでもない。
◎掛け詞や縁語は「駄洒落」。ははは
◎現代語、漢語、外来語を用いてもよい。表現を限定するほうがおかしい。
つまりは、文壇の権威たちが「これは正しい、これはだめ」と、本質をかけ離れて作り上げてしまったヒエラルヒー、規則、基準なんて、関係ないぜー!本当の芸術は、もっと自然なものなんだ!
と豪語。
そして、「自然」な芸術とは「写生」である、という大革命を起こしたのでした。
観念ではなく写生。形式ではなく本質。
野球青年・正岡子規
Wikipediaでは、江戸時代に日本で集大成された写生の4つのエッセンスが記載されています。
◎生意(生きた感じ、生気)を把握し描写すること「生意写生」、
◎客観的正確さを主眼として描くこと「客観写生」、
◎精巧・細密な描写を行うこと「精密写生」、
◎対象の観察と同時に描いていくこと「対看写生」
これって、西洋美術でもあったんじゃ。。。。
そうなのです。
その1。印象派美術
ルノワール「ラ・グルヌイエーヌ」1869年
チューブ入り絵の具が生まれたおかげで、野外で文字通り写生ができるようになり。筆触分割による視覚混合で、これまでのアカデミーにおける決まりごとのお題や技法では描けなかった「光の本質」を精密に、正確に描写しています(ルノアールなりの正確さだけど)。
光の本質。印象派が写実絵画といわれるゆえんです。
ちなみに、写実でない絵がよくわかる対象例を掲載。
左はモネのThe Gare Saint-Lazare1877。右はPippo Rizzo – Treno in corsa 1929ですが、右は「未来派」といって、機関車が生み出す躍動、力、スピードそして暴力という概念をぶちまけた絵です。左は、蒸気機関車というお題を形作っているさまざまな光の粒子を写生した、概念ではなく、目に見えるままを描いた写実絵画です。
その2。超写実絵画
こちらは、あまり説明もへったくれもないですよね。。。
五味文彦 《いにしえの王は語る》 2018年 油彩・パネル
出展:https://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/20_choshajitsu/
ドミニク・アングルもびっくりの精密画像。
ただ、ゆいいつ課題なのは「とにかく描くのに手間がかかりすぎる」らしい。
手間暇をかけてやっていると、どうしても一瞬の感性!というより、地道な技巧努力の積み重ね、という感じになり。言葉のあやになりますが、写「実」ですが写「生」には一歩遅れるか?
「生」つまり生意(生きた感じ、生気)の一瞬の煌めきを、すかさずとらえるには、超写実は精密すぎてちょっと、かもしれん。
正岡子規は、アカデミズムに疲弊していた(ことも自覚していなかった?)日本の文壇に、写生という革命で新時代を築き。
文字の世界に印象派と超写実を一気にもたらし、そして写生へ昇華した、恐るべき俳人正岡子規の革命的な芸術が、現在の我々の思考・性向にも息づいている、という事なのかもしれません。
最後に一句ぐらい子規の俳句を載せておきましょう
「柿食えば鐘がなるなり法隆寺」
文字一本で映像から音楽まで一気に突き抜け。すごいぞ子規!
ではでは。。。
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