労働と報酬
以前の記事(Blog7)で『「僕は仕事は好きだけど、仕事を無理やり収入に結び付けられて、収入の多寡で貴賤のランク付けされるのがいやなんだー」という人も多いかもしれません。』という記載をしました。
書きながら、労働と報酬(給与・お金)はどこまで関連すべきか、あるいは関連すべきでないのか改めて考えさせられてしまいました。
例えばパイロット。ぼくはレジャーパイロットであり、遊覧飛行で楽しむのはいいが、職業(労働)として営利活動はだめ、という免許をもっています。一方でエアラインパイロットなど職業としてのパイロットも存在しています。
さて、パイロットというと目を輝かせて喜ぶ女性もいますが、お付き合いしてみると、パイロットに目を輝かせるのではなくて、パイロットという職業がもたらすお金に目を輝かせているだけだったりすることがあります。
パイロット自身でも、高空で計器飛行なんて危険な仕事はいやだけど、給与がいいからやっている、という人もいるようです。そういう人から見れば、お金を払ってレジャーパイロットの免許を取って、お金にならない遊覧飛行をする奴なんて狂ってる、というふうに写っているのだとおもいます。
そういう人には、労働・職業は単にお金を得る手段に過ぎなかったりします。
一方、坂井三郎というゼロ戦パイロットのように、空戦で片目を失明するというほとんど致命的な重傷を負いながらも、なお無理やり前線に復帰し飛ぶことをあきらめなかった人もいます。坂井さんの場合は、十分傷痍軍人の名誉と海軍士官の給与をもらいながら、比較的安全な銃後で教官生活を送ってのんびり終戦を待つこともできたはずなのに、戦死しかけた戦場にもどっていった。これは戦争が好きだからではなく、飛ぶことが好きだから、なのです(もちろん死線をくぐっている仲間たちと一緒に戦いたい、というのもあると思います)。
この場合、パイロットというのはお金ではなく。労働の一種ではあるけれどはっきりいって報酬とは一線を画しています。
上記の「いやいやながら所得のためにやっているパイロット」に、「駅前でゴザに空き缶、あわれなこじきにおめぐみをー、とやったら年収2000万円稼げるノウハウと場所を教えてやるから、稼ぎの10%をロイヤリティで払ってくれ」と、あるフランチャイズ企業「カンカラベンチャーズ」が持ち掛けたとします。そしてその企業がマグドナルドなどのフランチャイズ事業よりよりずっと信頼できるという確信があった場合、パイロット稼業をあっさりやめて乞食ビジネスで大金持ちになるかもしれません。この人の場合、乞食の方がパイロットよりよっぽど価値のある労働である、ということですね。
アーリーリタイヤやベーシックインカム(Financial3.7a)は許せない行為だ!労働こそ人生だ!という人がいますが、こういう人の労働は「とにかく額に汗して報酬を得ること」であって「不労所得(financial1.1)は許せない悪行」になってしまい。でも、悲しいかな「額に汗さえしていれば世間体がつくろえる。そしてあわよくばお金がもっとほしい」と「空き缶ビジネス」にのめりこんでしまう人のことなのかもしれません。
一方、坂井さんのように、職業軍人で報酬はもらっているが、報酬ではなく職業そのものが尊い、という人もいるようです。軍人が尊いとか乞食が尊くないとかいう意味ではなく、自分の従事している職業を尊いととらえている、という意味です。
以前の記事(SpiritualS6.)で、「善行は善行であることそのものに価値があり、善行をやったということで得られる見返りで計量できるものではない」という考えを書きました。労働についても同じで、究極の一つの考えとして「本物の労働(Financial3.12)はボランティア活動にこそある」というのもありかもしれません。
もちろん、生活のために労働して報酬を得るというのは当然であり何ら恥ずべきことではないのですが、「労働が尊いとかいう余裕は実はなくて、とにかく生活のために労働している」とはっきり言うことが大切だと思います。
さて、自分の職業が報酬のあるなしにかかわらず尊く、その職業に打ち込んだ結果、乞食になってしまった、という人の写真があります。1929年以降の経済大恐慌のドイツで、国家は傷痍軍人に恩給などを払えなくなってしまった。健常者でも失業の経済状況で、この写真の傷痍軍人はやむなく乞食になるしかなかった。でも、この人は胸をはって乞食をするべきだと思います。そしてこの場合の乞食は、世のため人のために打ち込んだ結果の乞食であるので、どんなセレブな職業よりも尊敬されるべきだと信じます。
乞食であることは、決してはずかしいことではない
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