在宅勤務とファッション:減点社会の生き残り法

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在宅勤務とファッション:減点社会の生き残り法

テレワークも世界中で定着し、毎朝出勤のためにスーツだ、ネクタイだ!と大騒ぎしていた日々も遠い昔になりつつあり。ビデオ会議などではあわてて服装をととのえる日々。


素敵女子ミュウさんブログ(外部リンク)から抜粋させていただきました

そんな「非日常が日常化」した現状の中で、服装って、いったいなんだ?とふりかえるファッション考、いってみます。

コロナ禍前のはなしですが、マネーポストWEB で「カジュアルな服装でOKでも… ビジネスマンが語るスーツのメリット」という記事あり。例によってネタバレしないため要点だけですが、

  1. 「以前は職場だけでなく、客先でも自由な服装をしていた。しかし最近、スーツを着ることによるメリットが大きい」
  2. 「しばらくはジャケット、シャツ、パンツの組み合わせを考えるのが新鮮で、楽しみでもありました。でもだんだん、毎朝のコーディネートで悩むように。組み合わせをあまり考えずに済むスーツに戻りました。」
  3. 「スーツを着ることによって、決して『損する』ことはありません。世の中が変わろうとも、スーツがビジネスシーンの”正装”であることは変わらない。スーツでないことがNGになることがあっても、着ていることがマイナスになることはない。世間一般の常識に沿って考えるなら、選ばない理由はないと思います」

などあり。①は単に周囲がスーツ社会なのでそれに合わせているという常識的な発想。②については、OLでも「制服のある会社のほうがいい」という意見があるくらいで、要は仕事場に行くのにいちいちコーディネートなんて考えるがめんどい、というこれも至極まっとうな意見。

問題は③。「マイナスになることはない」という減点思考が健全なリスクテイクを阻害していないでしょうか。「金投資の大鬼」豊島逸夫さんもコラムで何度か「きょうびの日本企業はコンプライアンス偏重で身動きが取れない」というような記載をしており、ブラジルにやってくる日本企業も、個人的見解ですが「なんか成果より規則順守みたいなかんじだなー」好対照が中国で「人の都合も考えず、ずけずけ土足で上がり込み好き勝手に荒らしまわる」感じ。

なぜこうなるのかというと、デフレだ、マイナス金利だ、といいつつも日本経済は腐っても鯛で、日本企業で正社員になれた人は、ミスさえしなければとりあえず現状の雇用と賃金は確保される。中国企業のように冒険に冒険を重ね、とにかく利益を出さない限り明日の会社の存続はない、という切迫感がないため、おのずからミス回避・現状維持に傾き「逃げの仕事(労働と報酬」になってしまい。「スーツは着ていてマイナスになることはない」という消極的な理由でしかスーツを着ることができなくなってしまうのです。

塩野七海さんの「男たちへ」だったか?(間違えていたらごめんなさい)に、スーツでもイギリス人の着方とイタリア人の着方が違い、それぞれ主張があるとの記載があり。読んでへえー!と感心しました。日本はスーツで自分の個性を主張すると村八分にされてしまうのか?スーツを着て組織に溶け込むみたいなかんじで、欧米とは逆になっています。(でもこういう「溶け込む」は軍服の発想で、実はかなりやばいと思います)。

そういうぼくもスーツで出勤していますが、一応「市民的な安物であるが、飽きがこない原始的なデザインで、丈夫で死なない」要するに「かぶと虫みたいなスーツ」を着ることを目指しています。


かぶと虫。実用一点張りのすがたかたちですが、「究極・至高のデザインだ!」

とイタリアの著名デザイナーであるピニンファリーナをうならせた。

「スーツかカジュアルか」ではなく、「スーツならスーツ、カジュアルならカジュアルで自分で納得して(尋牛)着ているか」が重要と理解します。とある会社で「いつもと違った発想で仕事しましょう」みたいなキャッチコピーで「水曜日はカジュアルデー」などと強制したりしますが、スーツは堅苦しい、カジュアルは自由、みたいな白痴化したステレオタイプの解釈を社員に押しつけようという狙いがあるとしか思えません。でもカジュアルの基準がものすごく精緻に決められており、実質は軍服(制服)になっていたりして?

こうした画一化した価値観、破断基準を「コンプライアンス」と規定して、結局は立場の弱い人を追い詰めるパワーハラスメントのための錦の御旗(カエル)になっていないでしょうか。せっかく正社員になったのに追い詰められてたまるか、と会社の言うままにある時は「スーツ」、ある時は「カジュアル」と、本当の自分とはかけ離れた装いでモンスター上司他の目を躱している、なんてまるで売春婦の人が厚化粧して素顔が分からないようにしているのと同じですね、ははは。

スーツつながりでネクタイについて。「ネクタイは人に対する大切な尊敬の表現の一つであり、少なくとも仕事という錦の御旗の象徴として人を威圧するツールではありません。もちろん和やかな(第10図)お酒の席であればネクタイは普通にしていて何らおかしくはなく、ハチマキみたいに頭に巻いて踊り狂うというのは日本以外では認められない12歳の未熟児の行う行為です。週日の夜のデートでは、スーツ、ネクタイが女性に対する敬意の表明になり、もちろんネクタイでデートします」。

おっと、この記事のお題は「生き残り法」なのでコメント追加。「勤め先が日本株式会社のときは踊り狂いましょう」ははは

でも、何も考えずに踊り狂うのではなく、踊り狂う私は誰?と考えながら踊りましょう。これがと殺(ラットレース)されずに生き残る方法です。なあんて。

ファッションつながりで、世界の名機DC3というのがあり。1930年代の飛行機ですが、世界のベストセラーとなり、現在でもターボプロップ化して飛んでいるというすごい飛行機(進化した魂)です。そして、DC3は世界中のエアラインの文字通りカラーを反映した色とりどりの塗装をしており。まさにこの塗装が、個性を主張するファッションになっています。

でも、それは民間機の話で、軍用の第一線機になると、一様に緑や茶色の保護色となり、国籍マークがないと日本なのかアメリカなのかわからなくなってしまっています。

出展:零式輸送機はbr.pinterest.compin571957221400974376、その他はAirlines.net

この保護色ですが、単に地形に溶け込む、というだけではなく、それ以上に軍という集団絶対の組織に強制的に個性を埋没・抹殺させるという意味が強いと理解しています。

といって、アメリカになると「そもそも軍服なんて存在しない」。「軍にサービスを提供する民間人が、サービス中に着る作業着が軍服」であり、フライトジャケットになると、トップガンのトム・クルーズみたいに、軍のパイロットもファッションとして着ているし、飛行機操縦にぴったり、使い勝手のいいファッションになるジャケット、ということで民間のパイロットもフツーに着ています。


出展:「カブのイサキ」芦奈野ひとし著

新旧フライトジャケット。ぼくは茶色のA2ジャケット派です。

で、アメリカの「第一線軍用機」を見ると、上の輸送機みたいに、防御上仕方なくという場合を除いてこんな感じ


出展:https://www.pinterest.jp/pin/693272936359870122/

思い切り私物化しています。。。。

ちなみに、「上層部は黙認していた」そうですが、怒られないように、隠れて。。。なんてやっていたらこんな手の込んだ絵は描けません。もちろん奨励してはいないでしょうが。「あくまで個性が上。個人が集団の上。民間が軍の上。」ということで「ナチやジャップとはちがうぞ」という主張があったのだと思います。

でも、女のことしか考えないのだろうか。。。。。ははは

さて、下の写真はどちらが軍服で、どちらが私服なのだろうか?


出展:フラジャケの人たちはhttps://jamingu.com/entry/flight-jacket-syurui/。日本の写真は無料写真素材写真AC

でも、日本は北朝鮮ではないので、「軍服でさえ私服にしちゃう」そんな自由な市民国家にいつか進化できると思っています。

最後に、職場でネクタイをしなくなり、スリッパをはいた人たちが多くなると会社はつぶれるそうですが、その話はまた別の機会にとさせていただきます。

ではでは。。。

 

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