東京オリンピックが残したもの

Tags:

「敗者にはなにもやるな」—ボクシングで有名ですが、ビジネス化したスポーツで全般的に言える言葉だと思います。

勝利の一言がすべてを正当化する世界。オリンピックやワールドカップというイベントでいかにアピールするかで今後の収入アップが影響されたりするので、選手たちは、スポンサーに見放されないよう、必死になって勝ち負けを競った。


ヴィットリオ・コロナ 障害物競走

 

◎「勝利」という絶対唯一の正義にしがみつかざるを得ない選手たちの、血も涙もないボコりあいをネタに金を稼ぐ某貴族やプロモーター企業、そしてこの「錬金術システム」の「ルール・プログラム」に同意して富と名声を勝ち取ろうとする選手たちによる世界最大級のイベント・ショービジネスになったオリンピック

◎自然災害や、放射能対策、そして感染症など、国家を揺るがす問題から国民の目をそらし、国民の苦しみを麻痺させたうえで、メダルラッシュで「国威発揚」そして「強い繫栄した国」「優秀な政治家」の名声をゲットする政治家。

という、「正義の仮面の裏で、実はこれ以上ない政治的・経済的な汚濁にまみれた市民誘導のための手段」としてのオリンピックが浮き彫りになった恐るべき実例となっているのではないでしょうか。

もちろん、すべての選手がこの政治経済ゲームに汚染されているわけではなく。

前回のオリンピックですが、女子の5000メートル陸上で、2人の選手がからみあうようにして転倒してしまい。そのうち1人は足をくじいてしまい、普通ならギブアップのところを、もう一人が手を貸して助け起こすなど、励ましあってゴールまで走り切った、という場面もありました。


詳しくはハフィントンポストご参照:https://www.huffingtonpost.jp/2016/08/17/olympic-runners-crashed-together-willed-each-other_n_11577216.html

 

今回のオリンピックでは、競技以前の段階から、スポーツマンとは言えないような行為が頻発し。

◎選手団が泥酔し、選手村のベッドや壁を破損

◎大会中盤には、陽性者に隔離施設から無断外出される失態も犯した

◎選手村を無断外出しての東京タワー観光や買い物など、都民や国民に約束していたバブルも守られず。

以上「日刊スポーツ」より。https://www.nikkansports.com/olympic/tokyo2020/news/202108080001162.html

 

今回のオリンピックを一言でいうと「敗北五輪」。

もともとは、「復興五輪」のはずだった。しかし

「菅首相は東日本大震災から10年を迎えた3月11日、献花式で「復興五輪」に一切言及しませんでした。(しんぶん赤旗)」

「どこが復興五輪?「被災者は今も放置」残酷な現実—コロナだけでなく原子力緊急事態宣言も発令中(東洋経済)」

実は「復興」なんてオリンピックを正当化するための隠れ蓑に過ぎず、利用価値がなくなればとっとと捨てよう、ということなのでしょうか。


シスレー ハンプトン・コートのレガッタ

 

その次の「五輪はコロナに打ち勝った証し」ですが、実は打ち勝つどころか、日本の金メダルラッシュと相乗するかのように感染者数も激増してしまい。

そもそも「感染者はいなくなりました。有効率100%で副反応も軽微なワクチンと、特効薬も開発され、外国から誰でもいつでも入国OKです。いやいやコロナなんて、やばい過去もあったね」という時に開催して初めて「コロナをやっつけた記念のオリンピック」になるわけで。

日本国民は従順に服従していますが、コロナ患者が激増しても、感染した人を強権的に自宅に監禁し、救急車は受け入れてくれる病院が見つからずたらいまわしという、事実上の「目隠しした医療崩壊」になっており。オリンピックは、これ以上ない目隠しだ!となっていないでしょうか。

だから、「敗北五輪」というのです。

 

「敗者にはなにもやるな」といいますが、今回は「選手村を無断外出しての東京タワー観光や買い物」により東京中(つまり日本中)にばらまかれた得体のしれない変異株による感染爆発の懸念という贈り物が来てしまいました。


ライエンデッカー ゴルフやテニスをする淑女たち

 

ところが。

「神の国は敵のただなかで権力を握る(詩編 110:2)」ではないですが、こうした「オリンピックの仮面をかぶったオリンピックでないもの」になろうとしているオリンピックを根底から覆す事件が発生。

その名も「スケートボード」

12歳ぐらいの少年少女が多数出場し。

日本の少女が、演技に失敗し、泣き崩れてしまったが、ライバルたちが駆け寄って胴上げして励ました、というところに、この競技のエッセンスが明確に表れています。


https://news.yahoo.co.jp/articles/0c3b8ab860752b8405f304cba5b7b70f7062c493

 

ライバル、といっても、年端もゆかない少年少女です。

そして、彼らのえがお。メダルも、年俸もへったくれもない、遊んでいる少年少女の笑顔です。

銀メダルで取材を受けた少女の一言が、この競技の本質を象徴しています。いわく

「「楽しもうと思っただけ。女の子同士で遊んでいたら、表彰台に立つことができた」と自然体で話した。(読売新聞オンライン)」

上記で胴上げにはにかむ日本の少女になると

「「目標は金メダルではなく、自分のルーティンをすることでした」(日刊スポーツ)」

と、いかにもまじめなコメント。日本人ですねえ。

 

しかし、この2つのコメントが、「失われたオリンピック」を如実に表しているのではないでしょうか。

日刊スポーツ「「国も順位もなし」がスケボーの常識 このカルチャーで五輪が変わる」(https://news.yahoo.co.jp/articles/0c3b8ab860752b8405f304cba5b7b70f7062c493

にこの辺を見事に指摘しており。抜粋すると

◎スケートボードに順位はない。スケーターにその意識は薄い。

◎大会で、ある選手が大技に挑んだ。失敗して滑走を終えると、他の選手たちが「もう1度」とばかりにボードを鳴らす。観客も呼応して歓声をあげる。再度大技に挑戦して失敗、さらにもう1度…。5度目くらいで成功すると、優勝者以上の拍手と歓声が起きる。もちろん、競技は中断したままだが、オフィシャルもやめさせようとはしない。(抜粋終わり)


https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/05/20210526-OYT1I50065-T.jpg

 

出場者みんなが協力して、人間としてできる最高の技に到達することで、体育という面から人間の進化を促進する、そして、参加するのは「同等者の中の第一人者(Primus inter Pares)」であって、ドーピングなどで家畜化(特化)されてしまった人造人間ではない、街角のフツーの人たち、という、人類が忘れてしまったオリンピックがここにある。

 

もちろん、第一人者になるには想像を絶する努力がなされていますが、重要なのは「楽しもうと思っただけ。女の子同士で遊んでいた」の言葉であり。

成功へは、苦しまないと到達できないんだ、と人々を洗脳して、苦しみぬかせて搾取しようという、社畜養成の世界とは対極にあるのです。

 

ここでいう楽しむ、というのは、周りに迷惑をまき散らしてはしゃぎまわる、というのとは違います。むしろ、周りから見れば、恐ろしいハードトレーニングだ!ですが、やっている本人は夢中になっていて、苦しみにはなっていない。(練習のあと、死にそうにばてていることに気づく、なんてのはあると思います。ははは)

 

一方、これらの選手の中には、年収1000万円をスポンサーなどから得ているという少女もあり(出展:https://celeby-media.net/I0003174)。巨額の資金が動いています。お金で家族ともども生活が楽になった、という少女の例もあるのでプラス面もあるのですが、今後の推移を懸念するものでは、あります。


少女選手。「競技で得た賞金を家族のために使い、立派な家に引っ越しをさせたという(レッドブル)」

https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_60fe4b59e4b0a807eeb37b96

 

最後に、この記事を書くことができたのは、

確信犯的スーパー勘違い(https://ameblo.jp/sugiokakazuki/entry-12691347462.html?frm=themeというすごいサイトで、スケートボードについて紹介している「褒め称え合う競技「スケートボード」(https://ameblo.jp/nishitaka217/entry-12690560907.html)」のリブログがあったためであり、この場で両サイト主様に感謝させていただくとともに、引用、リブログさせていただきます。

ではでは。。。

Tags:

コメントを残す

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。