これまで、西洋の美術とか、日本の社会問題とかをお題にいろいろ投稿してきました。そんななかで、いろいろな国のキャラというのが見え始め。
たむわれに羅列してみます。
フランス:美術の国
ドイツ:科学の国
イタリア:お料理の国。マンジャーレの国
アメリカ:お金の国
ここまではすいすい。
イギリス:ううむ悩むが、名誉の国
ブラジル:地獄極楽(これもすぐ出た。要するに経済・社会格差の国)
さて、日本です。
日本ってなんの国だろう?
おもてなしとか礼儀とはなしですよー政府広報じゃあるまいし。
「富士山のゴミ」と「スタジアム清掃」が両立する変な国を一言で、ううむ難しいな。
百万長者とニート、公園で過ごす人(出社恐怖症・ラットレース)、ネットカフェ難民、自殺大国の一方で世界有数の長寿国。となると、頂点の人と底辺の人がそれぞれきわだつ「地獄極楽」ですが、これはアメリカやブラジルの方がもっとえげつなくて「キャラ」が立ってるし。
とかなり悩んだ挙句、
日本:警察の国
になりました。国家組織としての警察も優秀だけれど、良くも悪くも警察組織みたいに一糸乱れずの国民性のことを言っています。「○○警察」とか要注意の行動もある。
ちなみに、警察施設には、有刺鉄線が「外部からの侵入を防ぐような形で」設置されており。折り返しが塀の外側にまがっているらしい。
イメージ画像。有刺鉄線の折り返しに注目。
これが自衛隊になると、内向きにして隊員の脱走(その名も「脱柵」)を防いでいるらしい。(情報ソース:○○教育隊。ははは)
つづいて東洋の主要国家いきます。
韓国:刑務所の国。「儒教の檻」から逃げないように有刺鉄線は内側まがり。
中国:強制収容所。柵というより、巨大なコンクリート壁ですね
北朝鮮:精神病院。鉄壁に囲まれ、拘束衣でがんじがらめ。
もしかしたら、台湾は「柵なんてないよ」かもしれません?
さて、台湾を除き、アジアはいずれも「柵」「塀」「壁」になってしまいました。
北朝鮮、中国は言うに及ばず、日本や韓国も、いまだに「社会」が個人の動きに壁を作って「生かさず殺さず」にされていないでしょうか。
とにかく将軍様を賛美しないと強制収容所だ!とはなってないからと安心しているうちに、すさまじい「同調圧力」に押しつぶされそうになっており。
同調圧力だ!と気が付くうちはましで、職場で脱落した人が出た時に「あいつはうつになって電車に飛び込みやがったか。今年の新入社員はからきし意気地がねえな」なんて「圧力をかける側」に積極的あるいは気が付かないうちに回っていないでしょうか。
一方、「同調圧力」に気づいてしまうというのも危険であり。
「圧力鍋」の中にいるけれど、鍋をぶち破るか?貝になってしのぐか?
どうしよう。。。。
実は、鍋の「圧力弁」からするりと蒸気のように抜け出し、いやいやあぶないところだったねー、と「鍋」つまり会社だのなんだの(カエル)に依存しないで生きることは十分可能です。
その方法を提示するのが、このブログのレゾンデートルです。スピリチュアル・経済コンテンツを熟読ください。
さて、日本株式会社(中国・北朝鮮もおなじ)は、個人の前にそそり立つ堅牢な壁の前に、一つの門を用意しました。
とあるカギを持っていれば、この門を通過し、「日本株式会社」の一員として日本の中での生存権を得ることができます。
そのカギの名は「滅私奉公」
でも、「風の時代」が進むに従って、「日本株式会社」の壁は少しづつ後退、弱体化しており。早晩瓦解することが期待されます。
それまでは、「株式会社」の一員ではあっても抑圧する側にはまわらないぞ!の意志と「収入の川」で生きのびましょう。
なにが言いたいのか?要するに、昨日までの常識、しきたり、決まりごとが全て正義ではないですよ、ということです。
2019年からは、COVIDがこうした「常識」を覆す(神は死んだ)恐ろしいキャタライザー(触媒)になっているようですね。。。
意外に低く薄っぺらいベルリンの壁。でも1200人以上が、この壁に阻まれて越境に失敗・死亡したそうです。(写真は記念として保存されている区間)
西洋人にも壁はある。
こちらは、各個人が自分の周りにめぐらす壁のことである。
あれれ?西洋人って、あけっぴろげで、壁なんかつくらないよ?
これは逆で、日本人が壁を作らないのです。
生まれながらに「滅私奉公」の「皆様に生かさせていただいています」という日本人、はそもそも「個人」という概念が弱いので、壁も育たない。
西洋人なんて強烈な自我の塊ですからねーその自我を守るための壁はそれこそ鉄壁です。
ただ、その壁は「ヴァチカンの壁」になっています。
なんだそりゃ?
ヴァチカンには、正門が一つだけあります。
その正門は、信仰深く、慈悲深く、要するにカトリック教会の認める魂を持った人たちだけが通過できます。
したがって「共産主義者はお断り」であり。
無神論の共産主義者は、この「針の孔より小さい」門を通って、「神の国」に行くことはできません。
でも、この正門からかなり回って、裏手近くに行った某所に、実はもう一つ、隠し扉になった門があり。
こちらの門は、たとえ共産主義者だろうが、同性愛者だろうが、信仰深く、慈悲深い人だったら、いつでも通れるようになっているのでした。ははは
この「ヴァチカンの門」については、塩野七海さんの「イタリアからの手紙(法王庁の抜け穴)」にもっと詳しく書いてあります。
現在の門となっているヴァチカン市国美術館入口
出展:http://kura3.photozou.jp/pub/940/316940/photo/186612377_624.v1612580536.jpg
ところで、西洋人と会話が噛み合わず、越えられない壁を感じてしまった、という人はいないでしょうか。
ブラジルのとあるイベントで、日本の有名な開発銀行がブースを設け。わざわざ東京からとある課長さんが出張でブースにやってきました。
テレビ局のお姉さんが取材「課長さんは、このイベントがブラジルの格差是正にどのように役に立つとお考えでしょうか」
課長さん「我々の銀行は、途上国の格差是正のために、さまざまな活動を行っています」
お姉さん「いろいろなプロジェクトがありますね。でも、それらの案件を行うことで、どうやって格差が是正されるのか、課長のお考えを教えてください」
課長「我々は、途上国の優先政策と、日本の政策を考慮して、活動を行っています」
お姉さん「ううう、銀行としての方針は分かりましたが、課長さんならではのお考えをお願いします」
課長「わが社は、環境問題、防災、都市インフラに関わる多数のプロジェクトに融資しています」
と、全然かみ合わないまま、結局お姉さんが諦めて引き下がったということがあり。
ここで、「想定問答集を作れ」とか言わないでくださいね。。。
お姉さんはあくまで「課長という人だったら、エキスパートとして、ふつーの市民にプラスアルファした、どんな個人的な意見を持っているんだろう?」という質問をしたので、がんらい課長その人しか答えられない質問なのです。
いろいろなイベントで、日本の偉い人が原稿を両手で持って読み上げ(棒読みのケースさえある)、聴衆がなんだそりゃ?となる場面が多々あり。西洋人の場合は、そのイベントの要点にさらっと触れるくらいで、それよりも自分の体験談やジョークなどで観衆を沸かせたりします。
別に芸人になれというのではなく。「事前に取り決められた組織の公的見解以外は言ってはいけない」というしきたりがおかしいと言いたいのです。
さて、西洋人と話すとき、彼らが張り巡らすプライバシー防御の厚い壁も、あなたが「会社、社会に考えさせられ、言わされている」ことしか言わないのをやめて、「あなた自身が考えていること」を話し始めれば、例えば「宗教」という正門が相いれない人であったとしても、その宗教で大切にしている価値観(慈悲なり仁愛なり)を個人としてちゃんと持っている(持つように会社に命令されているんじゃないよ!)とわかれば、「ヴァチカン第2の門」を開いて、個人の違いを尊重した仲間(ブギウギ)として認めてくれることになるでしょう。
また3000字越え。
富士山のゴミ。ひところはタイヤから冷蔵庫まであったらしい
ではでは。。。
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